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岐阜地方裁判所 昭和22年(ワ)112号 判決

原告 篠田義憲

被告 原富太郎 外一名

主文

被告富太郎は原告に対し岐阜市玉宮町一丁目十九番宅地三十坪八合四勺の内別紙〈省略〉図面表示の(ニ)(ハ)(A)(B)(ニ)各点を直線で連結した地域十五坪八合九勺を別紙目録記載の建物中右地域上に存する部分を収去して明渡せ。

被告富蔵は右家屋部分より退去せよ。

被告富太郎は原告に対し金八千二百八十七円及昭和二十九年三月一日以降右土地明渡済に至るまで月五百九十一円の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告等の負担とする。

本判決は第三項に限り仮に之を執行することが出来る。

事実

第一、請求の趣旨並答弁の趣旨、

原告訴訟代理人は主文第一乃至四項同旨の判決並仮執行の宣言を求め被告等訴訟代理人は原告の請求は之を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求めた。

第二、当事者双方の主張、

一、原告訴訟代理人は請求原因として、主文第一項掲記の土地(以下単に本件土地と称する)は原告の所有であるが、被告富太郎は昭和二十一年三月頃から何等の権原なくして右土地中主文掲記の十五坪八合九勺(以下単に本件係争地と称する)を占有し殆んど本件土地全部にまたがつて主文第一項掲記の建物(以下単に本件建物と称する)を所有し、被告富蔵と共に之に居住している。そこで、原告は被告富太郎に対し本件係争地を本件建物中その地上部分を収去してその明渡を、被告富蔵に対しては右家屋部分より退去を求め、尚被告富太郎は右土地を不法占拠することによつて原告に対し相当賃料たる公定賃料相当の損害をこうむらしめているのであるから原告は被告富太郎に対し損害金の内別紙計算書記載の通り昭和二十六年十月一日以降昭和二十九年二月二十八日までの損害金合計八千二百八十九円の内八千二百八十七円及び、同年三月一日以降土地明渡済に至るまで月五百九十一円の割合による損害金の支払を求めるものであると述べた。

二、被告等訴訟代理人は答弁として、本件土地が原告の所有であること被告富太郎が本件係争地を占有し本件土地の殆んど全部にまたがつて本件家屋を所有し被告富蔵と共に之に居住していることは之を認めるがその余の事実は之を争う。元来、本件土地は岐阜市玉宮町一丁目七番公簿上坪数三十五坪(以下単に七番の土地と称する)の換地として交付された土地であるが、訴外岩田治太郎は之を原告から賃借し右七番の土地一杯及その西側に隣接する棚橋賢一所有土地にまたがつて家屋を建築所有し、被告富太郎は右家屋を岩田から賃借居住し之と訴外田中末太郎から借受けた家屋を打抜いて一軒の家となし漬物商を営んでいた。ところが右家屋は昭和二十年七月九日の空襲により罹災するに至つたので被告富太郎は直ちに焼跡を整地し右罹災敷地内に家屋を新築同所において漬物商を再開した。被告富太郎は当初右敷地は棚橋賢一の所有とのみきいていたので同人の承諾を得て家屋を建築したところ昭和二十一年四月頃岐阜市の区劃整理の結果右敷地中本件土地が原告の所有であることが明になつたので被告富太郎は直ちに原告に対し本件土地の賃借方を申込んだところ、原告は右土地は沢田与七に貸すことにしてあるから沢田さえよければ貸してもよい旨答えたのでここに原告及被告富太郎間に沢田の不要を停止条件とする本件土地の賃貸借契約が成立するに至つた。而して、沢田与七は戦前前記被告富太郎居住家屋の南隣の換地前岐阜市玉宮町一丁目六番篠田兵三郎の所有地(現在二十番の一部以下単に六番の土地と称する)に建つていた沢田喜作所有家屋に居住していて罹災したのであるが、罹災跡地に直ちに戻らなかつたため右土地には全然関係のなかつた魚住吉左衛門が家を建てるに至つた。そこで沢田与七は右土地の当時の所有者篠田宅治郎(篠田兵三郎の息)を被告として借地権確認の訴(岐阜地方裁判所昭和二十二年(ワ)第一一九号)を提起しその訴訟において昭和二十三年五月二十一日沢田与七と篠田宅治郎及魚住吉左衛門(調停参加人)間に調停成立し沢田与七は魚住が罹災した場所について有する同人の借地権の一部を譲受けてそこに居住することゝなり魚住はその現に居住せる沢田与七の篠田宅治郎に対する六番の土地に対する借地権を同人から譲受けてそこに居住すること、沢田は篠田宅治郎に対する借地権確認の請求を抛棄することゝきまり結局沢田与七はもと魚住が罹災した場所に家を建てゝ現に居住している。従つて沢田与七の不要を条件とする本件土地賃貸借契約はこゝに条件が成就して原告及被告富太郎間に本件土地全部について期間の定のない賃貸借が成立するに至つたものである。仮に然らずとするも被告富太郎は前記の如く罹災前七番の土地全部及その隣接地にまたがつて建つていた岩田治太郎所有家屋に賃借居住していたから被告富太郎は罹災都市借地借家臨時処理法(以下単に処理法と称する)に基き右家屋の敷地の一部たる七番の土地全部について借地権を取得し得べき権利を有し同被告は原告に対し昭和二十一年五、六月頃口頭を以て、昭和二十二年八月二日には書面を以ていずれも右土地に対し処理法第二条に基く賃借の申出をなしたから被告富太郎は右七番の換地たる本件土地全部について借地権を取得している。仮に然らずとするも被告富太郎は前記の如く罹災家屋の賃借人であるので処理法第三条第四条に基き前記岩田治太郎の相続人たる岩田清から昭和二十二年八月十日同人の原告に対する右罹災家屋の敷地の一部たる七番の土地の全部、従つてその換地たる本件土地についての借地権の譲渡を受け同日その旨原告に通知したから被告富太郎は本件土地についての借地権を有する。仮に然らずとするも本件係争地はそれ自身独立して利用し得る程の地域地形でないのみならず原告は被告等から本件土地の明渡を得て自ら之を使用するのではなく前記魚住に使用せしめるというよりは魚住が原告の名をかりて訴訟をなしているのである。殊に、魚住が現在使用している土地は五十四坪にも上る広い地域でありその地域も同人が罹災前に使用していた地域よりも広く且繁華な所に進出して来た訳である上にその家族数も四名に過ぎず、すぐ近隣の玉宮町二丁目西組には四十二坪の土地及地上家屋を所有し魚住の営業たる味噌、醤油酒類販売業にとつてはその営業の性質上右土地建物を併せて利用することは容易であり之を併せ使用すれば狭隘を感ずる理由がない。之に反し被告富太郎は前記の如くもともと本件土地を原告の所有と知らずして使用しはじめたものでありその坪数も近々三十坪に過ぎずそこに建築した本件建物を住宅兼店舗として使用しているのであるが、只さえ狭隘を感じている上に本件係争地を明渡すときは地上家屋殊に被告等の唯一の住居たる三畳間を両断せざるを得ないことゝなり、さすれば被告富太郎及その家族九名はその住居を失い営業を継続することも不可能な結果に立至るのである。結局、原告の本訴請求はいたずらに被告富太郎に対し大なる苦痛と損害を与えるのみで正に権利の濫用というべきである。尚被告富蔵は被告富太郎の長男であつて同人と同居しているのであるから被告富太郎の主張と同様である。従つて、原告の請求に応じがたいと述べた。

三、原告訴訟代理人は右に対し本件土地が七番の土地の換地であつて公簿上の地積が三十五坪なること七番の土地の西側に棚橋賢一の所有地があつたこと、岩田治太郎が原告から七番の土地を借受け之と右棚橋賢一所有地にまたがつて家屋を建築所有していたこと、被告富太郎が右家屋を借受け之に居住し漬物商を営んでいたこと、右家屋が戦災により焼失したこと、被告富太郎が焼跡に家屋を新築引続き漬物商を営んでいること、沢田与七が被告富太郎居住家屋の南隣の沢田喜作所有家屋に居住していて罹災したこと、沢田与七の罹災跡地に魚住が家を建てるに至つたこと、沢田与七が篠田宅治郎を被告として被告主張の如き訴訟を提起し沢田与七篠田宅治郎及魚住間に魚住が譲受けた借地権の内容の点を除き被告主張の如き調停が成立したこと、原告が被告富太郎からその主張の如き書面による処理法第二条に基く賃借の申出を受けたこと、魚住が玉宮町二丁目西組に被告等主張の如く土地家屋を持つていること、魚住が被告等主張の如き営業を営むこと、被告富蔵が被告富太郎の長男なることはいずれも之を認めるがその余の事実は之を争う。殊に、被告富太郎の居住していた岩田治太郎所有家屋の敷地、従つて、岩田治太郎が原告から賃借していた七番の土地の範囲は被告等主張の如くその全部ではなくその実測三十八坪八合五勺中十七坪に過ぎない。即ち、原告は右三十八坪八合五勺中二十一坪八合五勺を沢田与七に、残余の十七坪を岩田治太郎に賃貸していたものである。従つて、沢田与七の居住していた家屋の敷地も被告等主張の如く六番の土地のみではなく、原告所有の七番の土地に二十一坪八合五勺かゝつていたものであり、又被告等主張の調停の際魚住が沢田与七から譲受けることゝなつた借地権は被告等主張の如く篠田宅治郎に対する六番についての借地権ではなく、原告に対する右沢田与七の七番の土地二十一坪八合五勺に換地后の減歩率を乗じて得た約十六坪即ち本件係争地についての借地権である。而して沢田与七は調停の結果同人が魚住から取得した借地権のかわりに本件係争地についての右借地権を魚住に譲渡しなければならないことゝなつたのであるから仮に原告及被告富太郎間に被告等主張の如き沢田与七の不要を条件とする賃貸借契約が成立したとしても沢田与七の不要という事実は発生していない。又被告等が岩田清から譲受けた前記十六坪に対する処理法に基く借地権の範囲は申立人被告富太郎相手方原告なる岐阜地方裁判所(シ)第一号借地権確定申立事件の審理の結果昭和二十七年十二月五日本件土地中本件係争地を除く部分と決定せられ右事件は被告富太郎から名古屋高等裁判所に抗告したるも昭和二十九年八月四日抗告を棄却せられ確定するに至つたものである。従つて、被告富太郎は本件係争地については処理法に基く借地権を有せず、之と異る主張をなすことは許されないものである。又権利濫用の抗弁に対し原告は本件係争地を前記調停の結果魚住に賃貸すべき義務を負つているものであり且魚住はその有する借地権を沢田与七に譲渡した結果同人の本件係争地について有する借地権を譲受くるに至つたのであるから原告は当然本件係争地の明渡を求め得るものというべきであるのみならず魚住はその営業上商品の置場に困つて居り現在の土地のみでは狭隘を感じているのであるから本件土地の明渡を求める必要がある。被告主張の玉宮町二丁目西組の土地家屋については魚住は右家屋を倉橋仲次郎に賃貸しているものであるからその敷地も之を自由に使用することが出来ないのみならず、魚住の店舗から遠く離れているため商品の置場として使用するに不便であり且営業にも適しないところである。之に反し被告富太郎は本件土地中本件係争地を除く同被告の賃借地の外その北隣に玉宮町一丁目十八番(旧八番以下単に十八番と称する)の土地を有し之を利用すれば何等不自由を感ずる筈がないと述べた。

四、被告等訴訟代理人は右に対し原告及被告富太郎間に原告主張の如き借地権確定事件が繋属し審理の結果原告主張の如く決定し右事件は原告主張の如く確定したことは之を認めるがその余の事実は之を争う。殊に沢田与七居住家屋が七番の土地にかゝつていたことは極力之を争う。けだし六番の土地の間口は五間二分であり沢田与七の罹災家屋の間口も五間二分であり且右家屋は角家であつたのであるから右家屋が七番の土地にかゝる理由なく若し原告主張の如く右家屋が七番の土地に二十一坪八合五勺かゝつていたとすれば右家屋の間口は九間以上とならねばならないことゝなり明に事実に反することゝなるからである。仮にいくらかかゝつていたとしてもそれは乙第一号証に記載されている十四坪に過ぎない。又処理法に基く借地権確定申立事件が確定したとしてもそれは裁判上の和解と同一の効力を有するに止まり裁判上の和解は既判力を有しないから右裁判と異る主張は固より許容せられるところである。又原告主張の玉宮町一丁目十八番の土地は被告富太郎の次男原秀男の所有であり、同人は既に右土地に二階建家屋を建築して居り、仮に同人の承諾を得たとしても之を店舗に改造することは容易でないから被告富太郎は右土地を利用することが出来ないと述べた。

五、原告訴訟代理人は右被告等主張事実中原秀男が被告富太郎の二男であること、右土地に二階建建物が建築されていることは之を認めるがその余の事実は之を争う。原秀男は独立の生計を営んでいるものではないから右土地建物は名義上同人の名義となつているに止まり実質上は被告富太郎が之を自由に使用し得るものである。而も被告富太郎は本訴提起頃から右玉宮町一丁目十八番の土地をも使用し来つたのであるが昭和二十八年頃に至つて秀男名義で家屋を建築するに至つたものであるから仮に原秀男が被告等と別個の生計を営むことにより被告等の家屋が狭隘となつたとしてもその不利益は被告等自ら甘受すべきものであると述べた。

六、被告等訴訟代理人は右原告主張事実は之を争うと述べた。

第三、立証〈省略〉

理由

本件土地が原告の所有なること、被告富太郎が本件係争地を占有し本件土地の殆んど全部にまたがつて本件家屋を所有し被告富蔵と共に之に居住していることは当事者間に争がない。

被告等は被告富太郎が本件係争地を訴外沢田与七の不要を停止条件として借受けたものである旨抗争しているから此の点について判断する。原告及被告富太郎間に被告等主張の如き沢田与七の不要を条件とする賃貸借契約が成立したとの被告等主張事実については之に副う、成立に争のない乙第十六号証、同第十七号証の各記載、被告本人原富太郎(第一、二回)の供述はいずれも措信しがたく他に之を認めるに足る証拠がないのみならず、沢田与七が被告富太郎居住家屋の南隣の沢田喜作所有家屋に居住していて罹災したこと、沢田与七の罹災跡地に魚住が家屋を建てるに至つたこと、沢田与七が篠田宅治郎を相手として被告等主張の如き訴訟を提起し、沢田与七、篠田宅治郎及魚住間に調停成立し、その結果沢田は魚住が罹災した場所について有する借地権の一部を譲受けてそこに居住することゝなり、魚住は沢田与七の借地権を譲受けてそこに居住すること、沢田は篠田宅治郎に対する借地権確認の請求を抛棄することにきまつたことは当事者間に争なく成立に争のない乙第一号証、甲第七号証、甲第八号証の二、によれば右調停において沢田与七が魚住に譲渡することゝなつたのは被告等主張の如く六番の土地について有していた借地権ではなく七番の土地について有していた借地権であり原告は之を承認していたことが認められ右事実に原告本人篠田義憲(第一回)の供述を綜合すれば、原告が七番の土地を被告富太郎に賃貸することを承諾していなかつたことが認められるから被告等の主張はその理由がない。

被告等は更に本件係争地について処理法による借地権を有する旨抗争するから此の点について判断する。申立人被告富太郎、相手方原告なる原告主張の如き借地権確定申立事件において被告富太郎が本件土地中本件係争地を除く部分につき処理法に基く借地権を有することに決定せられ該事件は原告主張の如く確定するに至つたことは当事者間に争がない。従つて被告富太郎の本件土地について有する借地権は右地域に限定せられ本件係争地については之を有せざることに確定し原告及被告富太郎はいずれも之に反する主張をなすことを得ざることゝなつたものといわねばならない。被告等は処理法に基く借地権確定申立事件の裁判確定するも右裁判は裁判上の和解と同一の効力を有するに止まり既判力を有しない旨主張しているが、借地権確定申立事件の裁判はそれが裁判である以上裁判上の和解の如く私法上の行為たる一面を有しないこと明であるから処理法第二十五条民事訴訟法第二百三条の適用上当然既判力を有するものと解すべきで、被告等の右主張はその理由がない。而して、右の如く処理法に基く借地権が原告と被告富太郎との間に確定された事実に前記甲第七号証を綜合すれば被告富蔵との関係においても被告富太郎の有する処理法に基く借地権の範囲を前同様に認定するのが相当であり、他の一切の証拠は右認定を左右するに足らないものといわねばならない。従つて本件係争地について被告富太郎が処理法に基く借地権を有しないこと明であるから被告等の右主張はその理由がない。そこで、進んで被告等の権利濫用の抗弁について判断する。成立に争のない乙第一号証、甲第七号証、同第八号証の一、二同第九号証の一、二証人安藤ちよ、(第一、二回)の証言、検証(第二回)の結果を綜合すれば原告は本件係争地を魚住に賃貸すべき義務を負つていること、魚住は本件係争地の南側に接続する玉宮町一丁目二十番に味噌醤油酒類販売業を営んでいること(魚住が右の如き営業を営んでいることは当事者間に争がない)、魚住が前記認定の調停の結果その有していた借地権を沢田与七に譲渡した代償として原告に対する本件係争地の借地権を沢田から取得したものなること、魚住の店舗は狭隘で本件係争地の明渡を求める必要あることを認めることが出来る。被告等は本件係争地は独立して利用し得る地域地形ではなく且原告自ら使用することを目的とするものではなく魚住が原告の名をかりて訴訟を追行しているものなる旨抗争しているが、前記甲第七号証、甲第九号証の一、二証人安藤ちよ(第一、二回)の証言、検証(第二回)の結果を綜合すれば、本件係争地はそれ自身独立して使用し得ること、並本件係争地は結局魚住が使用するものであり魚住が現に使用している土地は本件係争地と隣接していることが認められるから本件係争地の利用価値は極めて大なるものといわねばならない、而して、原告が魚住に対し本件係争地を賃貸すべき義務あること前記認定の通りである以上原告は本件係争地の明渡を求める必要があるものというべきであり、魚住が原告の名をかりて訴訟を追行しているとの被告等主張事実については之を認めるに足る適確な証拠がない。被告等は更に魚住は近隣の玉宮町二丁目西組に所有している土地建物を直ちに利用し得るから本件係争地の明渡を求める必要がない旨抗争し魚住が右の如き土地建物を所有していることは当事者間に争ないが、検証(第二回)の結果によれば右土地建物は魚住の店舗より約二十三間西方に存し相当重量物である商品を運搬することは困難であろうことは容易に想像し得る所であり、右土地もそれ自身独立して営業に適する場所でもないから右土地建物あればとて本件係争地の明渡を求める必要がないということは出来ない。被告等は本件係争地は被告富太郎が原告の所有地なることを知らず善意にて使用しはじめたものであり又本件係争地は明渡すときは被告富太郎の家屋を両断することゝなり営業が不可能となる旨抗争しているが、証人安藤ちよ(第一回)同沢田与七(第一回)の各証言によれば被告富太郎は原告が特に沢田与七のために空地として残しておいた本件係争地を勝手に使用しはじめたことが認められるし(右認定に反する被告本人原富太郎(第一、二回)同原富蔵(第一回の各供述、乙第十六、十七号証の各記載は措信しない)、又検証(第三回の結果によれば、本件係争地を明渡すときは被告富太郎の家屋を両断する結果となること被告等主張の通りでありその結果被告富太郎の営業(被告富太郎が漬物商を営んでいることは当事者間に争がない)並住居に支障を来すべきことは推認するに難くないが、被告富太郎が右土地を前記の如く不法占拠しているものなる以上その結果はやむを得ないものといわねばならない。のみならず原秀男が被告原富太郎の二男なることは当事者間に争なく右事実に成立に争のない乙第十一号証、証人安藤ちよ(第三回)の証言、検証(第三回)の結果を綜合すれば本件土地中本件係争地を除く被告富太郎の賃借地に隣接して被告富太郎はその次男原秀男名義を以て玉宮町二丁目十八番の土地家屋を有していることが認められるから右両地をあわせ使用すれば営業の継続は不可能ではなく、その地上家屋の改造に当り多少の費用を要するとしてもやむを得ないものといわねばならない。前記乙第十一号証被告本人原富太郎(第二回)同原富蔵(第二回)の各供述のみによつては右認定を左右するに足らず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

結局被告等の権利濫用の抗弁も亦その理由がないものといわねばならない。

かように見てくると、被告富太郎は本件係争地をその地上に存する本件家屋中その地上部分を収去して明渡すべき義務があり、被告富蔵は右家屋部分より退去すべき義務あること明白である。

而して、本件土地の固定資産評価額はいずれも別紙計算書該当欄記載の通りなること成立に争のない甲第十号証により明であるから本件係争地の公定賃料は別紙計算書該当欄記載の通りであり、被告富太郎は原告に対し右土地の不法占拠により公定賃料相当の損害をこうむらしめているものといわねばならないから被告富太郎が不法占拠した后なること弁論の全趣旨により明なる昭和二十六年十月一日以降昭和二十九年二月二十八日まで別紙計算書の通り合計八千二百八十九円の内八千二百八十七円及び、昭和二十九年三月一日以降土地明渡済に至るまで月五百九十一円の割合による損害金を支払うべき義務があるものといわねばならない。

以上の理由により原告の本訴請求は正当であるから之を許容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言については土地明渡を求める部分については之を却下し、金員支払を求める部分についてのみ之を認め同法第百九十六条を適用し主文の如く判決する。

(裁判官 奥村義雄)

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